2008年2月11日月曜日

続々・君死にたもうことなかれ

14年前、ベストセラーになった「死体は語る」の著者、上野正彦さん(元東京都監察医務院長)にインタビューした。

上野さんは30年間の監察医の経験を本にまとめたところ、評判を呼び、本邦初の「死体作家」を名乗っていた。

監察医とは、いわゆる変死体(医師にかからず死亡した突然死や、不慮の中毒死、災害事故死、病死なのか犯罪にかかわりがあるのかわからない不自然死など)を専門に扱う。検死、解剖でその死因をはっきりさせるのが役目なのだ。

統計では、死者総数の15%が検死が必要な変死体とされる。上野さんは30年間で、死者2万人(検死1万5000体、解剖5000体)と対面した。推理小説まがいの事件にも数多く遭遇したという。

たとえば…。

「幼女がはいはいして石油ストーブにぶつかった。運悪く熱湯の入ったヤカンが背中に落ちて大火傷を負い、まもなく死亡。検死をすると、背中に丸い火傷があった。ストーブの上のヤカンが落ちたなら、熱湯は不整形に背中に飛び散るはず。『誰かが嘘をついている!』。実は、知恵遅れの子供の前途を悲観した母親の仕業だった…」

「風邪で会社を休んでいた課長がカプセル入りの薬を飲んだところ、容態が急変、死亡した。外見からは死因がつかめないため、解剖したところ、胃から青酸が検出された。警察の調べで、その家の祖父が病弱なため、自殺しようと風邪薬の中身を抜き取り青酸を詰めたが、そのまま忘れていたことがわかった」

上野さんは「死人に口無しというが、否、雄弁です」と話していた。

上野さんの父は北海道の片田舎の町医者だった。貧しい人から治療代を取らない「赤ひげ」のような人で、そんな父の姿を見て育った上野少年は「大きくなったら医者になる」と誓っていた。はじめは臨床の名医を目指したが、医学部(東邦医科大)を卒業したくらいの実力で患者の前に立つ自信はなかったといい、監察医を「2、3年くらいやって…」と考えたことがその後の人生を決めた。

監察医を辞めた後も、新聞の3面記事(事件)を読むのが日課。最近も、大きな事件があると、ワイドショーなどのメディアに引っ張り出されている。

「メッタ刺しなんて事件があると、犯人は陰惨、陰湿な性格とコメントするこ学者がいるが、あれは間違い。弱いから恐怖心におののいて、トドメを何回も刺そうとするんです。結果、むごたらしい事件に見えるが、陰惨な性格とか、怨恨だとかみると、捜査の道を誤ってしまいますよ」

インタビューを終えた後、著書にサインをお願いした。
すると、「死」が当たり前の生活を過ごしてきた上野さんがしたためたのは、この一文字だった。

「生」。

(2004/10/31)

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