2008年2月10日日曜日

日本のオヤジ

きのう、「おーいお茶」で知られる伊藤園の本庄八郎社長にお会いした。猛暑効果で売り上げ増、さぞかしウハウハだろうと思ったが…。

社長は「来年の夏が心配ですよ。もしも冷夏だったら」と、気をもんでいる。経営者って瞬時も、浮かれてはいられないのだ。まさしく「勝って兜の緒を締めよ」。

そして、こうも言っていた。「なんでも表と裏があるでしょう。チャンスのときこそピンチ。逆にピンチのときこそチャンスなんです」

社長とはこの日が初対面だったが、伊藤園とはもう10年以上のつきあいだ。

いつもお会いしていたのは、社長の6歳上の実兄で会長だった本庄正則さん。伊藤園は兄、正則さんが30歳、弟、八郎さんが24歳のとき、わずかな元手で創業した会社だった。社長の八郎さんを事業に専念させるため、マスコミ対応は、もっぱら会長の正則さんの役割だった。

10数年前、たしか宮沢りえの取材だったと思うが、レコード会社の広報の人と知り合った。その人が伊藤園に転職、「うちの会社の会長に会ってみないか? すごい人だよ」と紹介されたのが、正則会長と出会うきっかけだった。(人の縁ってありがたいものですね)

正則会長は、豪傑肌の人、人情にも厚い。それでいて理論家でもある。経営者として、いくども修羅場をくぐりぬけただけに、言動がふらつかない。すべてに、ピンと一本、筋が通っているのだ。僕は「地震・雷・火事・おやじ」という言葉を思い出した。

かつて、おやじは子供にとって怖いもの(そして尊敬するもの)の代名詞だった。「ああ、この人こそ日本のおやじだな」とすっかりほれ込んでしまった。

小渕元首相と正則会長は盟友だった。
伊藤園がまだほんの小さい会社だったころ、早稲田大学の同窓という縁で、小渕さんに資金援助(たしか数百万円で株を購入した)してもらい、倒産を免れたことがあったという。

以来、2人は夢を語り合い、「おれは総理大臣になる」「おれは1000億円企業をつくるぞ」「じゃあ、どっちが先か競争しよう」と切磋琢磨する関係だった。小渕さんが外相のとき、資金集めパーティに正則会長が友人として出席、激励のスピーチした。たまたま取材に来ていた僕は、そのときはじめて2人の関係を知った。

小渕さんが総裁選レース(田中真紀子さんが候補者3人を変人・凡人・軍人と名づけたことで話題になった)に出馬したさい、何度か正則会長からコメントを取った。めでたく首相に就任した小渕さんだったが、はじめのころ人気は低かった。

正則会長は、こう言っていた。

「たいていの首相は、花を贈られ登場するが、最後は、石もて追われる。小渕さんは逆だ。これからどんどん人気が上がるよ」。

そのとおりだった。正則会長は、小渕政権の知恵袋でもあった。僕たち記者の目を盗んで、裏口からこっそり官邸に入り、経済政策について話し合うことがあったという。

週刊誌に疑惑を書きたてられたことがあった。
小渕さんが伊藤園の株で大儲けしている。第二のリクルート事件(政財界に未公開株をバラまいた)ではないか、というのが週刊誌の憶測だった。

ただし、これはまったくのデタラメだった。正則会長はカンカンだった。名誉毀損で訴えることも考えたが、うそっぱちを平気で書く媒体と同じ土俵に乗ること自体が嫌、との思いが強かったようだ。

当時、2度、僕は会長室に呼ばれた。テープレコーダーがセットされていた。正則会長は「記事にしなくてもいい。だれか一人だけでもいいから、本当のことを知ってもらいたいんだ。週刊誌に書いてあるような、後ろめたいことは、いっさいない。これから一字一句、反論するから、聞いていてくれ」と話し出した。数時間後、話し終わると、テープレコーダーの機械ごと「証拠に持っていってくれ」。僕は正則会長はウソをついていない(つまり週刊誌報道が間違いだ)と確信した。

「用がなくてもいいから、たまには遊びにおいで」と、正則会長に誘われたので、何回か、本当に用もなく立ち寄ったことがあった。秘書室の人は「えっ、本当に来たの?」とびっくりしていたが、正則会長は歓迎してくれた。会長は海外の留学生のために私費を投じていた。この話をよくしていた。

僕は、日経新聞で連載している「私の履歴書」のようなものを、書いたらどうですか。会長の経営者人生は、きっと多くの人の参考になります。僕がゴーストライターになりますから出版しましょう、と何度もすすめたが、「ああいうものを書くと、死んじゃうから、まだ早い」と断られていた。

時期がきたら、絶対、正則会長の半生をじっくり聞きたいと思っていた。が、その願いはかなわなかった。2年前の7月、肺炎のため急逝してしまったのだ。

きのう、数年ぶりに正則会長の担当だった秘書室の方にお会いすると、「会長は君のことが好きだったんだよ。日経新聞の記者には仕事上、会わなくちゃいけなかったが、それ以外で会うのは君だけだった」と言っていた。

僕みたいな、出来の悪い記者に目をかけてくれていたなんて…。ジーンときた。
日本のおやじ、さようなら。そして、ありがとうございます。僕にとっては「あなたみたいな人になる」のが目標です。

(2004/8/5)

1 件のコメント:

keimiku さんのコメント...

こんにちは。そして初めまして。
事情があり匿名にさせていただきます。
まだこのブログが続いているということを願ってお願いがあります。本庄政則はどんな人だったのか教えてほしいのです。できるだけ詳しくあなたの独断でよいので教えてもらえませんか。彼がどんな人柄で会社経営以外のことを教えていただきたいです。よろしくお願いします。
keimiku@aol.com