2008年2月11日月曜日

ご冥福をお祈りいたします

最近、訃報が相次いでいる。
けさは、仰木彬監督の急逝が報じられていたし、夜には本田美奈子さんの追悼番組もある。
もうひとり、僕のまわりでお亡くなりになった方がいた。
関口哲平さん。がんで闘病生活を送り、12日朝、ご自宅で亡くなったという。享年56歳。




関口さんは1949年生まれ、早大卒。出光興産退社後、アントニオ猪木、野末陳平、大前研一、舛添要一ら各氏の選挙参謀として活躍した。
僕が関口さんと初めてお会いしたのは、10年前、たしか関口さんは都知事選に出馬した大前さんの選対本部長(役職は記憶があいまいだが)だった。第一印象は、とにかく押し出しの強いタイプ、に見えた。
このころ、オウムがポアの対象として大前さんの名前を挙げていたこともあって、大前陣営では私設のボディーガードを採用していた。選挙戦の後、関口さんから「このボディーガードがおもしろいヤツなので一回、会ってくれ」と言ってきた。
ボディーガードは元警視庁の機動隊員だった。高校時代はレスリングで国体にも出場した、ものすごいごっつい体型だった。「これじゃオウムも逃げ出すよなあ」と思ったが、それはさておき、彼は最近は占いを正業としているという。占いの道に入るきっかけは、警視庁時代に鑑識で多くの死体などを見てきて顔相、手相などを研究したからだった。
「へえー、おもしろそうだな」
いちおう、彼の経歴や話にウソがないかどうか、裏を取り、調べた結果、信頼できる人だったので、「人間鑑識」というタイトルで連載をお願いすることになった。
彼の名は、大清水高山さん。
僕は以来、大清水さんにお世話になりっぱなしだ。記事のネタをもらったこともたびたびあるし、自分自身の人生相談(?)に乗ってもらったこともある。つい最近は、ある女性歌手のデビューに力を貸してもらった。
いま、大清水さんは高円寺で「占いの館 パワーハウス」を経営している。たまには顔を出したいと思っている。

この大清水さんとの出会いをつくってくれたのが関口さんなのだ。関口さんは政治の世界を去ると、作家に転身した。
自らの経験をもとにした「選挙参謀」で作家デビューし、「愛犬マックス」「ハート・ビート」などを執筆した。また、テレビの構成作家として「モハメド・アリの真実を追う」「青木功・緒方拳、大地を闊歩」などの番組をプロデュースした。
がんを患っていると聞いたのは、いつのことだったろうか。今年夏、大清水さんに会ったら、「関口さんは不死身だよ。がんを克服したらしいよ」と言っていた。
たしかに一時、体調をかなり取り戻したようだった。
「しあわせになろうよ 余命6カ月を克服した私のがんサバイバル50の方法」なる本も上梓していた。

今年になってから何度かメールをいただいたこともあった。最後の最後まで精力的な人だった。
享年56歳は、早すぎる。
でも、かつてアニメ「巨人の星」では、坂本龍馬の生きざまを取り上げ、「男なら最後まで歩き続け、倒れるときは、前に倒れたい」と伝えていた。これを思い出すような関口さんの最後だった。
人生の幕の閉じ方としては、なかなか見事だったと思う。

(2005/12/16)

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