2008年2月11日月曜日

奇跡

奇跡とは、待っているものではなく、自ら生み出すものなのかもしれない。


今年1月、母の主治医から緊急連絡が入った。
「きわめて危険な状態です。できるだけ、早く来てください」

ちょうど、友人のお店で新年会の真っ最中だった。ついに来るべきときが来たのか、と呆然とした。このまま、すぐに母のもとに行きたかったが、新年会を中座できない事情があった。友人たちのもとに戻り、何事もなかったかのように、笑顔を浮かべるのが辛かった。

2日後、仕事の都合をつけて病院に向かった。

主治医の話だと、3分の1しかなくなった肺に肺炎を起している。レントゲンをみせてもらったら、正常な人だと黒く写るのに、モヤがかかったように白っぽくなっている。白っぽいところが、肺炎になっている部位だという。酸素吸入をしているが、肺に酸素が入っていきずらくなっていた。

「いつ、どうなってもおかしくない状況です。覚悟はしておいてください」
主治医に、そう告げられた。

その日とは、今日なのか、それとも明日なのか。

親戚たちと、いろいろな相談をした。
問題がひとつ、あった。

自宅に金庫があり、その中に重要書類などを保管してあるのだが、開け方をだれもしらない。
「シゲ! まだ話ができるうちに、ちゃんと聞いておけよ」。親戚たちから何度も念を押された。

母のベッドのわきで、僕は何度も「ねえ、おかあさん、カギの開け方なんだけど…」と口を開きかけたが、ついに聞けなかった。

感の鋭い人だから、なぜ、金庫の開け方を聞きたがるのか。察しがついてしまう。

母は「必ずよくなる」との一念で、ギリギリの瀬戸際で頑張っている。金庫の開け方を聞こうとするのは、「あなたは、もう治りませんから」と宣告するようなものだと感じていたのだ。

気丈な母の思いが天に通じたのか、日に日によくなっていった。1週間後、主治医がレントゲンをみて驚いていた。

「白いモヤが消えてます。これなら、もう大丈夫です。もしも、また何かあったらすぐ連絡しますから」

さらに、その日から2か月。
先週末、病院の母を訪ねた。
腰が抜けそうになった。

昨年7月から10か月間もずっと寝たきり、寝返りもほとんど打てなかった。つい2か月前は生死の境をさまよっていた。

そんな母がベッドに起き上がっている。歩いてトイレにも行けるようになった。そして来週には退院できるという。

どうなっちゃってるんだ。これは夢か?とビックリした。

本人は10か月ぶりに自宅に戻れることを喜んでいた。
自宅に戻ってからの生活も、心配は心配なのだが、とりあえずは、念願かなって自宅に帰れるようになったことを、みんなで喜びたい。

僕たちまわりは、何度も「もうダメだ…」と諦めていた。
だが、母だけは決して諦めなかった。
「治りたい」「家に帰りたい」と、いつだって必死に病魔と戦い続けた。

僕は、母に人生で大切なことを教わった気がしている。
それは…。

「絶対に諦めるな」「絶対に挫けるな」ということ。


おかあさん、あなたはすごいよ。
僕は、あなたの息子で、よかったと感謝してます。

(2005/4/19)

0 件のコメント: