2008年2月10日日曜日

男・江口の涙

「シゲ、これはいい本だなあ。俺は、俺はさあ、こういう本を売りたかったんだよ…」感極まったようにそう言うと、あとは嗚咽だけが聞こえてきた。昼すぎ、携帯電話に角川書店時代、「伝説の営業マン」といわれた人から連絡が入った。「ごめん、シゲ。(ゲラ刷りで)60ページまで今読み終わったところなんだけど、涙が止まんなくてさ…」。語尾がまた、すすり泣きに変わった。

電話の主は、江口正明さん、50歳。

現在は荻窪で「寄港地」という居酒屋を経営しているが、元二枚目俳優であり、「あずみ」「がんばれ元気」などのヒット作をもつ漫画家小山ゆうさんの親友であり、レスリング銀メダリスト太田章さんが兄貴と慕う存在でもある。

数年前までは角川書店の営業マンとして活躍、「リング」「らせん」などのベストセラーを陰で支えた。僕が昨年出した「ダメ!と言われてメガヒット」も、この人なくしてはつくりあげることはできなかった。とにかく、世の中にここまで熱血漢がいるのかと思わせる「男の中の男」なのだ。

そんな男・江口が泣いている。

「浅田次郎さんは泣かせよう、泣かせようとあざといところがあるけど、鉄道員(ぽっぽや)は泣けて、泣けて、途中で読めなくなった。マディソン郡の橋もヒットする前に読んで泣けた。でも、これはそれ以上かもなあ」

出版業界にいたプロをここまで感動させた作品とは、この9月中旬に出版される「髪日和」(廣瀬浩志著、かもがわ出版)である。

著者の廣瀬さんは、歌手の刀根麻理子さんとともに都内で「今人(いまじん)」というお店を開いている。2年前のオープン以来、僕も時々、お世話になっていた。「35の会」という昭和35年生まれが集まる会をここで開いたり、僕の出版パーティーも引き受けてくれた。そんな縁で、今度は廣瀬さんの出版パーティーの幹事のひとりに指名された。僕は、知人たちに次のような案内文を送った。

《謹啓 皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。さて、「感性交差点」を標榜(ひょうぼう)するレストラン「今人」(東京都文京区白山)のオーナー、廣瀬浩志さんが9月に「髪日和 出張美容で髪も心も輝いて」(かもがわ出版)を上梓いたします。それを記念して9月15日夜、ホテルニューオータニで祝賀パーティーを催すことになりました。お店での廣瀬さんは、名シェフとして数々の創作料理などでわたしたちを楽しませてくれますが、もともとは美容の世界で活躍されてきた人。とくに日本初の「出張美容サービス」ラプンツェル本部を立ち上げ、難病で寝たきりの女性や、事故のため体が不自由になり美容室に通えない人たちのために、全国を駆け回ってきました。本には、出張美容で出会ったお客様との心の交流が綴られています。
末期がんの身で3年以上、だれにも髪をさわらせなかった老女。それが、なぜ初対面の廣瀬さんを指名したのか。あまりの悪臭と、凝り固まった汚れと格闘すること半日、やっときれいに髪をセットできたとホッとする廣瀬さんに向かい、老女は自らの半生を打ち明けはじめた。その壮絶な過去とは…。美容師になって初めてのお客さんが、パタッと来店されなくなった。その代わり、近所の幼女が小さな花束を持って美容室にやってくるようになった。1週間、2週間たってもその花束は、なぜか枯れることがない。不思議な花に秘められた予期せぬ別れのレクイエム…。
ページをめくりながら、涙が止まらなくなりました。こんなに感動したのは、いつ以来だろう。一読前、廣瀬さんにはかねてから世話になっているし、少しでもお役に立ちたいと思っていましたが、読み終わった後には、「こんな素晴らしい本があることを、できるだけ多くの人に伝えたい。いや、伝えるのが新聞記者である僕の使命だ」と考え直しました。「髪は女の命」と言います。廣瀬さんの仕事もまた、命がけなのでしょう。命のレベルで触れ合う人生の深さ、美しさ。僕は、この本と出会えた幸運を感謝しています。
就きましては、ご多忙中のこととは存じますが、なにとぞご来場賜りたくご案内申し上げます。敬具》


この案内文には書きこめなかったが、本では廣瀬さんが美容師の世界に入るようになるきっかけも綴られている。上野の「テキヤ」から「美容師」へ、という転身の影には、「ノブ」という兄貴の存在があった。ノブと廣瀬さん2人の関係は、阿佐田哲也の「麻雀放浪記」、ドサ健と坊や哲の2人とダブってみえた。異色の青春期としても、楽しく、そしてちょっと切ない、胸がしめつけられる好著である。

江口さんには廣瀬さんからゲラ刷りを送ってもらった。手元に着くと、すぐに読み始めたという江口さんが再び、電話を寄越した。

「忙しいのに何度も悪いな。俺、もう興奮しちゃってさあ。シゲ! 人間、生きてるといいことにめぐり合うよな。感動をありがとう!」

男・江口と男・廣瀬。世の中には、こんな素晴らしい男たちがいる。

(2004/8/28)

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