2008年2月10日日曜日

ドンとの旅(前編)

アテネ五輪で苦戦している女子ソフトボールチームだが、頑張れ、諦めるな! ブラウン管を通して、宇津木妙子監督を見ると、初めて会った14年前の旅を思い出す。

あれは1990年の7月。

「最後のドン」と呼ばれた日本船舶振興会の笹川良一会長と一緒に行った米国への10日間の旅だった。

一行は、振興会の幹部、会長秘書、僕たちマスコミ関係者の総勢15人くらいだった。

まず、向かったのが、シカゴから車で2時間半、人口4万人たらずの辺鄙な町。ここが、世界女子ソフトボール選手権大会(第7回)の開催地だった。
ドンは国際ソフトボール連盟の名誉会長であり、開幕の始球式に真っ赤なブレザー姿で登板した。そして、91歳の高齢にもかかわらず、見事なストライク!

僕は、世界レベルのソフトボールの試合を始めて間近で見て驚いた。ピッチャーの投げるボールの速いこと、ド迫力だった。日本チームはそれほど強くなかった。この大会では結局、決勝リーグに進めなかった。なにしろ米国、オーストラリアなどの強豪チームの体格のすごいこと。まともに向かっては、とてもかなわない。

投手陣の中に、一人、美少女がいた。水島新司の「野球狂の詩」に出てくる水原勇気みたいな子で、サウスポーの流れるようなフォームから切れのいい変化球を投げ込み、三振の山を築いていた。

宇津木監督には、開幕前夜、ホテルのロビーで1時間ほどインタビューさせてもらった。中学1年生ではじめてからソフトボール一色の人生といい、選手(内野手)生活13年間で2度、全日本入り、現役引退後はコーチ、監督として活躍している。

ただ、「女子スポーツといえばバレーボールなどが取り上げられ、ソフトボールは日の目をみない。早くメジャーにしたい」と訴えていた。

たしかに、この大会も取材陣は僕たちくらいで、スタンドもガランとしていた。女子ゴルフの岡本綾子さんもソフトボール出身で、1年間一緒にプレーした仲だった。

「岡本さんがあこがれの人。岡本さんを目標に置いてソフトボールの世界で頑張りたい」と話し、岡本さんと競争していることがあると、はにかみながら打ち明けてくれた。

「わたしはいま37歳。デートの時間もないようなこんな生活なので、いまだに独身です。でも、いい人がいればと思いますよ。岡本さんとは40歳までにと言い合っています」(ちなみに、宇津木監督はシドニー五輪前、12歳年下の人とゴールインした)

多分、宇津木監督のことをこれほど取り上げたのは、僕の記事が初めてだったんじゃないだろうか。
その後、女子ソフトボールと宇津木監督がこんなにメジャーになるとは、あのとき、思っていなかった。宇津木監督の努力と執念、なによりもソフトボールを愛する心のたまものだろう。

さて、ドンをはじめとする一行は、食事のたびに豪華リムジンで移動した。といっても、辺鄙なこの町で食事するような場所は、マクドナルドぐらいしかない。マックの駐車場に、不釣合いな豪華リムジン4台がデーンと横付けされ、僕たちはハンバーガーをほおばった。

この後、一向はワシントン、ニューヨークをまわってロスアンゼルスへ。そして、ビバリーヒルズの豪邸で催されたパーティでは、高名な政治評論家の痴態を目撃するのだが、そのエピソードは、また次回!

(2004/8/19)

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