2008年2月11日月曜日

素直が一番

大相撲が始まっている。日本相撲協会の北ノ湖理事長とは10数年前、新橋の居酒屋で偶然、出会ったことがある。

僕らが少年時代、横綱だった北ノ湖は憎らしいほど強かった。
今でも覚えているが、勝ったときの、あのふてぶてしい態度。僕らは判官びいきで、小兵の先代貴ノ花や黄金の左の輪島らを応援していた。北ノ湖は典型的な敵役だった。
だが、実際に会うと、穏やかで、誠実な人柄だった。北ノ湖親方(当時すでに現役を引退し、親方になっていた)は後援者らに連れられ、新橋の居酒屋に来たが、なぜか後援者たちは全員帰ってしまったようだった。一人、取り残された北ノ湖親方を、僕は「ねえ親方、一緒に飲みましょうよ」とカウンターに誘った。

「ホント、親方は強かったよなあ」。

一緒に日本酒を飲みながら、僕は親方に聞いた。「強くなるのに、一番大切なことは何ですか」すると、親方の答えはこうだった。

「素直が一番!」

才能だとか、根性だとか、という答えが返ってくるもんだと思っていたから、意外だった。「へえー、素直か…」。その後、何度もこのときのやりとりを思い出しては「素直が一番」と自分自身にも言い聞かせてきた。

だが、あるとき…。

評論家の江藤淳さんをインタビューした(平成10年2月)。

産経新聞に連載していた「月に一度」というコラムを本にまとめ、出版した直後だった。コラムは、政治の話題が多く、江藤さんは永田町の激辛ご意見番といった感じだった。

たとえば、ペルーの大使公邸占拠事件のさい、橋本龍太郎首相(当時)が外務省のスタッフにあんぱんを差し入れたエピソードには「余りに『コドモノクニ』的ではないか」と嘆き、小沢一郎・新進党党首(当時)には「帰りなん、いざ」と政界引退を勧めた。

僕とのインタビューでも、「細川も愚、羽田も愚」「菅は出世主義の権化。ああいうヘロヘロした目を見ただけでわかる」と痛快にぶった斬った。

その一方で、小泉純一郎厚相のことを評価していた。「『このキツネめッ』と思っていたが、成長の跡が見られる」。今、振り返ってみて、このときの人物評がいかに的確だったかに驚かされる。

江藤さんは、小さいころ病弱だったそうで、小柄で丸顔。一見、温厚な好々爺といった印象を受けるが、内面は熱く、激しい人。好き嫌いをはっきり言う。

インタビューの中で、僕は加藤シヅエさんのことを話題にした。シヅエさんは、テレビのコメンテーターなどとして活躍している加藤タキさんの母親で、元衆院議員。平成9年には「100歳誕生パーティー」を開いた。

僕はシヅエさんが99歳のときに自宅に一度お邪魔した。シヅエさんは「ピンクレター」(ピンク色の便箋で手紙を書いていた)というものを出していた。マスコミは政治家のことを、けなすことはあっても、ほめることはない。シヅエさんは「いいことをしたときには、一生懸命ほめてあげたい。ほめると、やる気が出てくるでしょう」と話していた。たしか、梶山静六官房長官(当時)がピンクレターをもらったと言って、僕たち番記者の前ではしゃいでいた。いつもは野武士のように毅然とした人が、「こんなにうれしそうにするのは珍しいな。ピンクレターの差出人、加藤シヅエってどんな人なんだろう」と思ったのが、会いにいくきっかけだった。

シヅエさんは「テレビはウソ発見機。じっと見ていると、この人は本物かな、ニセモノかなとわかる。(次期総理候補だったある大物大臣)○×さん、ああ、あの人はニセモノね」などと話していた。

江藤さんに、このときのエピソード(僕はけっこう感動していた)を伝えたら、「あの人は本物もニセモノもわからない人。僕は大嫌い。君はマスコミ人にしては素直すぎる」と叱られてしまった。

「僕は素直すぎるのか…」。

記者として大成しなかったのは、これが理由だったんだろうか。「素直が一番」と心に刻んでいたが、「素直すぎてもいけないのか?」。僕はわけがわからなくなった。

その江藤さんの訃報が届いたのは翌年の夏だった。
8か月前に先立たれた愛妻、慶子さんの後を追うように自殺したのだ。享年66歳。

江藤夫妻は「一卵性双生児」と言われるほど仲がよかった。看病記「妻と私」を出版した直後の自殺だった。江藤さん自らも、脳梗塞を患い、遺書には「心身の不自由は進み、病苦は堪え難し。去る6月10日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず。自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ」としたためられていた。

大評論家への追悼は、その後、各界の著名人たちから寄せられた。改めて、その数々の業績の素晴らしさに驚かされた。たった1度会っただけの僕ごときが、何か言うべきではないのかもしれない。でも、訃報に接して、こんな思いがよぎった。

江藤さん、素直すぎたのは僕じゃなくて、江藤さんあなた自身だったんじゃないですか。江藤さん、僕もできる限り「素直すぎる」ままでいることにします。

(2004/9/14)

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