2008年2月10日日曜日

おっかねえ

暑い夏がやってくるたびに、あの年のことを思い出す。あれは、1本のタレコミ電話から始まった…。

「山口敏夫(元厚生政務次官)がからんだニセ薬事件がある。この薬は、がんにも高血圧にも糖尿病にも効くというふれこみだが、厚生省の認可をとっていない。無認可の薬なのに、年間に数十億円も売り上げ、厚生省もなぜか黙認している。その裏には政界、学会にバラまかれたワイロが…」

土曜日の夕方で、編集局には僕ぐらいしか残っていなかった。タレコミ主の話を聞いても、なんだかいかがわしそうで、にわかには信じられなかったが、とりあえず、どこかで会おうと約束した。

指定されたのは、薄汚れた大久保のホテル。で、現れた人は、金ぴかの腕時計に、口ひげをたくわえ、いかにも詐欺師みたいに見えた。

そして、タレコミ内容の「ニセ薬」をめぐって「こんな内部文書が飛び交っている」と説明し始めたが、この文書が、出来の悪い怪文書のようなものだった。

「こんな連中に付き合って、時間の無駄だったか」という思いがよぎった。

が、いきがかり上、裏をとってみようと取材を始めた。手始めに、「ニセ薬」製造の会社に出かけた。「浅井ゲルマニウム研究所」という名前だった。同社専務は「すべて厚生省の指導のとおりにしている」と話していた。僕は、「そりゃ、そうだよな。無認可のニセ薬でぼろ儲けしているといった話がまかりとおるわけはない」と帰ってきた。

念のため、厚生省にも寄って「浅井ゲルマニウムの件ですが」と切り出すと、妙にバタバタと浮ついている。「会社は厚生省の言うとおりにしていると話していました」と聞くと、担当官が「そんなことは言ってない」とことごとく会社側の説明と食い違うのだ。

一体全体、どうしちゃったの?という感じだった。もしかすると、あのタレコミ、本当なのかもしれない、と思い直して、ここから本格的な取材をスタートさせた。

夏、関係個所をしらみつぶしに取材して回った。夜回りした先で、「ウソを書くな」と恫喝(どうかつ)されたこともあったが、「記者生命をかけている。ウソを書いていない」と言い返した。

その後、1年間にわたって告発キャンペーン記事を書き続けた。当時、厚生大臣が小泉純一郎氏(のちの首相)。永田町の実力秘書として知られた飯島秘書官から「お前は、小沢(一郎)の手先か」と呼び出しをくらったこともあった。

この厚生省スキャンダルは、小沢・新進党の自民党攻撃のカードのひとつではないか、と飯島氏は考えていたのだ。当時、僕は政治担当で官邸に詰めていた。飯島氏には、取材で何度も世話になったことがあった。

大臣室で飯島氏に詰問されたが、これまでのいきさつ、取材した内容をかいつまんで説明した。すると、飯島氏は「官僚たちからも話を聞いていたが、おれはどうも君が話していることが本当のように思えてきた。省内でも事情聴取してみるよ」と言ってくれた。

最近の飯島氏は、週刊誌などから攻撃されているが、僕にとっては恩人である。このあと、飯島氏は、その言葉どおり、省内で事情聴取を進めてくれたのだ。そして、厚生省は浅井ゲルマニウム研究所を薬事法違反容疑で警視庁に告発した。

厚生省が刑事告発するのは、初めての事態だった。記者クラブに所属していない僕のところに、飯島氏から電話が入った。

「けさ、これから告発について記者会見する。君も来てくれ」

厚生省の担当官が説明した告発事実は、僕が1年前にスクープした記事の内容そのものだった。あのころ、厚生省の取材先に「B級新聞のペーペーの記者が何を書く」と、これみよがしに蔑まれたのを、感慨深く思い出した。

飯島氏は、それから僕のことを見かけると、「おっかねえ、おっかねえ記者だ」と言っていた。あの暑い夏、駆けずり回ったのは、ムダじゃなかったとうれしかった。記者でいる限りは、「おっかねえ記者」でありたい、と思う。

(2004/8/10)

0 件のコメント: