2008年2月10日日曜日

土下座した夜

先日、小池百合子さんをめぐる「後ろめたい思い出」を書いたが、もう一つ、別の大失敗も思い出した。迷惑をかけたのは、「ストロベリーロード」などで知られる作家の石川好(よしみ)さんだった。

石川さんは、高卒後、米カリフォルニアの農場で働く。「ストロベリーロード」はそのときの体験を下敷きに書いたものだ。

帰国後は、クラブのマネージャーとして夜の銀座で働いたこともある。異色の論客として「朝まで生テレビ」の常連でもあった。

そんな石川さんが、95年の参院選(神奈川選挙区)に新党さきがけ公認で出馬した。「政界の坂本竜馬になる」と意気込んでいた。石川さんは、気さくでだれとでもすぐに仲良くなるタイプ。身軽で行動力もある。そして熱血漢の一面もあった。

のちに親しい仲だった鳩山由紀夫さんが民主党を旗揚げしたとき、「なんでも借り物、まやかしの政党だ」と喝破し、親友・鳩山への決別宣言を寄稿してもらったこともあった。僕は選挙戦のとき、何度も取材し、応援していたが、残念ながら落選した。落選の弁を聞きに、都内の事務所にうかがった。石川さんは意外にもさばさばとした表情だった。

取材を終え帰ろうとすると、石川さんが「おーい、おれも出かける用事があるから一緒にそこまで行こう」と声をかけてくれた。が、そのとき、電話がかかってきた。

電話は、どうやら親しい評論家の佐高信(さだか・まこと)さんから、らしい。

「ああ、そうなんだよ。落選がわかったあの夜、武村(正義・新党さきがけ代表)がやってきてね。『申し訳ない』と僕の前で土下座したんだよ…」

僕は、このやりとりを玄関先でしばらく聞いていた。「あの武村が土下座したのか、すげえなあ」と正直、驚いた。

武村氏はバルカン政治家(小国バルカンは生き残るために権謀術数の限りを尽くした)といわれ、ある人は彼を恐れ、ある人は嫌った。僕ら記者にとっては、なかなか本音をもらさない、やりにくい相手だった。

「これは、おもしろいエピソードだなあ」と、記者としての功名心がむくむく頭をもたげた。僕は石川さんに声をかけた。「長くなりそうなので、引き上げますね」「おー、またな」。石川さんは受話器を耳にしたまま、片手を振って答えた。

会社に戻ってきてから、僕は記事をまとめた。見出しは、「武村が土下座した夜」。記事は永田町でも反響を呼んだが、石川さんはカンカンだった。無論、当然だった。記者だからって、何を書いてもいいわけじゃない。ルールがある。これは、人の電話を盗み聞きして書いたわけだ。もし、書くのなら、石川さんに「電話の内容を聞いた。書きますね」と正々堂々と通告すべきだったのだ。

僕は、そんなことしたら石川さんが怒って「書くな」と言うに決まっているから、無断で記事にしたのだ。明かに、信義に反する行為だった。当時の僕は、「スクープをとりたい」「なんでも書いてやるぞ」と、あせりすぎていた。

その後、僕は石川さんのところを訪ねては、何度も、何度も詫びた。一年間くらい詫び続けたら、石川さんから「もういいよ」と許してもらえた。でも、このときのことを、僕は決して忘れない。スクープを取るより大事なことがある。いつも、正々堂々といこう、と肝に命じた。

以上、「土下座した夜」をスクープして「土下座」するはめになった、バカな記者の思い出でした。

(2004/8/13)

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