2008年2月10日日曜日

サラリーマンの金メダル

予想以上の「金メダル」ラッシュとなったアテネ五輪をテレビ観戦しながら、「金メダルといえばなあ…」。ふと、あるエピソードを思い出した。それは、「サラリーマンの金メダル」などの芝居がヒットした劇団「ふるさときゃらばん」(東京都小金井市)のけいこ場で、あるVIPと遭遇したことから始まった。

時は、11年前。僕は、この劇団の大ファンだった。

畑や田んぼを舞台にした農村ミュージカルで人気を集め、その後、サラリーマンの悲哀をコミカルに描いた作品も上演した。毎回、笑いあり、涙ありの佳作で、見終わるとジーンときた。そして、舞台がはねたあと、出演者が全員、通路で観客を出迎え、握手を交わす、そのアットホームなところが大好きだった。

舞台はプライベートで見にいっていたが、告知記事や劇評を書いたり、「コメ問題」をテーマにした作品のときは、演出家のインタビューを掲載したりしていた。マスコミの中の応援団のつもりだった。

日曜日の朝、親しい劇団幹部から自宅に電話がかかってきた。

「きょう、これから羽田(孜元首相)さんがけいこ場に遊びにくる。あなたも偶然、居合わせたふりをして会ったら」

農水大臣を経験していた羽田さんは、農村ミュージカルを標榜していたこの劇団の初期のころからのファンだった。僕は、この誘いに飛びついた。

当時の羽田さんは、政治記事の渦中の人だったのだ。細川・殿様総理が「やーめた」と政権をほうり出した後、小沢かいらい羽田政権も超短命に終わり、自社さがくっついた村山トンちゃん内閣が誕生していた。
これに対し、旧連立与党側もなんとかまとまろうとしていたが、問題は新・新党の党首候補だった。細川、羽田、海部らの名前が上がっては「帯に短し、たすきに流し」となかなか決まらなかったのだ。

「キーマンを、ライバルの新聞社がだれもいないところで直撃できるなんて」。僕は喜び勇んでいた。

演出家の厳しい叱正が飛ぶけいこを、羽田さんのすぐそばにいながら、じっと見続け、ひたすら時を待った。けいこが終わり、2次会の居酒屋へ移動することになった。人付き合いのいい羽田さんも一緒に来るという。

「ここがチャンスだ!」。

居酒屋へ歩いていく道々、僕は羽田さんの横にピッタリ寄り添い、「新党首の条件は?」「海部さんが最有力らしいが?」「羽田さんはどうするつもり?」「小沢さんはどう?」などと矢継ぎ早に質問した。もちろん、メモ帳なんか持ってきてないし、あくまで雑談のように装っていた。

羽田さんは、多分、取材だなんてこれっぽちも思っていなかったのだろう。「いまの政治には感動がない」「小沢は10%は強烈についてくるが、これからの小選挙区制では51%を取らなきゃいかん」「女性党首をもってきてもいい。ただ、真紀ちゃん(田中真紀子のこと)はダメだな。度量が狭い。僕たち田中派にいた者を、いまだに使用人だと思っている。野田聖子のほうが伸びるよ」珍しく本音がポンポン飛び出した。

二次会の間中、このやりとりを忘れないよう、頭の中で何度も何度も反芻した。羽田さんは二次会でもご機嫌だった。

僕は深夜、編集局に入り、急いで原稿にまとめた。その原稿は「総理再登板に色気たっぷり」「真紀子は度量が狭い」といった大見出しの記事になった。

今、この記事を読み返してみると、よくメモも取らずに、これだけのやりとりを覚えていたもんだな、とわれながら感心するが、羽田さんは記事を読んで激怒したという。僕には直接、クレームをつけてこなかったが、ふるさときゃらばんには相当、激しく怒りをぶつけたらしい。

ふるきゃらも困惑してしまった。羽田さんは劇団の大切な応援団である。それは、僕みたいなチンピラとは比べ物にはならない。僕は、みせしめに劇団へ出入り禁止になってしまった。当時の僕は「何を言っているんだ。新聞記者は24時間、新聞記者だ。聞いたこと、見たこと何でも書いてやるんだ」と自己弁護していた。じつのところ、今もその気持ちには変わりない。

ただ、ものすごく反省もした。僕にとっても、ふるきゃらは大切な存在だったからだ。もともとファンであるし、取材を通じて役者さん、裏方さん、大勢の方と仲良くなっていた。舞台が終わって、セットの解体を手伝い汗だくになり、その後の打ち上げで一緒においしいお酒を飲んだこともあった。彼ら、彼女らを悲しませる結果となったことは心外だった。

何がいけなかったんだろう。僕は、2つのことを肝に命じた。

「やはりプライベートと仕事はきっちり区別しよう」「取材では、決してコソコソするな。正々堂々と行こう」僕は、羽田さんとの立ち話で、取材だとバレるとまずいと思っていた。これは、正々堂々とした取材とは言えまい。仮に取材の仕方がこうであっても、記事を書くときに一言、「書きますからね」と通告するだけでも違ったと思う。

若いころの僕は、玉砕してもいいから相手に正面からぶつかる勇気に欠けていた。玉砕は嫌だ、相手をだましてでも脇からこそっとネタを掠め取ろう、としていた。
あーあ、懺悔することが多いなあ。

(2004/8/25)

0 件のコメント: