2008年2月10日日曜日

小樽の人よ

昨日まで、地元の北海道小樽市に帰省していた。

「運河の街」「北のウォール街」は、何人もの「作家」を育んだ土地でもある。古くは伊藤整、小林多喜ニ、石川啄木、最近では先日、直木賞を取った京極夏彦がいる。

京極さんは僕の2歳年下。彼の作品をはじめて読んだときはショックだった。
知人にすすめられ、デビュー作「姑獲鳥(うぶめ)の夏」から5冊を一気に読破した。「妖怪小説」と呼ばれる京極ワールドを生み出す妖怪、宗教、伝承の数々、おどろおどろしくも幻想的な作風を支える博覧強記ぶりが読む者を圧倒する。

かつて文学少年だった僕は、どんな作品を読んでも「ひょっとすると、僕だってこうした作品を書けたかもしれない」と心の片隅で思っていたが、京極作品だけは違った。「これは、もう一度、生き直さない限り、書けない」と叩きのめされたのだ。

「高度成長の歯車が急回転したあの時代、さびれゆく港町で、ともに幼年時代から思春期を過ごした。ああ、それなのに、片や天才、こなた凡才記者。この差は何だろう」と、数年前、彼にインタビューしたことがある。

天才肌の無口な人を想像していたが、コピーライター出身の彼は、気さくで親しみやすい人柄だった。小樽市内の同じ本屋でしょっちょう立ち読みをしていた仲間だったことも判明し、ずいぶん盛り上がった。

出版社の編集者からは、「黒手袋」のことは聞かないように、と釘をさされていたが、「これですか。秘密と答えることにしているんですが、小さいころからしてるんですよ。野坂昭如さんのサングラスみたいなもので。上着と同じです」と気軽に答えてくれた。

彼は宮部みゆきさん(同じ大沢オフィス所属)のファンだった。「ところが、(ある場所で会ったときに)宮部さんに先にサインをねだられてしまって、出鼻をくじかれたんです。でも、ちゃんとカバンの中に、(宮部作品の代表作のひとつ)『火車』を忍ばせていました。で、『交換ならいいですよ』と言いました」こんなエピソードも打ち明けてくれた京極さんは、まさに「好漢」だった。

その後、あんなに太ったのには驚いた。僕と京極さん、才能は天と地ほど違ったが、太り方は「なまら似てるっしょや」(小樽弁)と親近感をもった。
(2004/8/3)

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