2008年2月11日月曜日

父と娘

あれは5年くらい前のことだったろうか。
夜、編集局で原稿を書いていると、後輩が「女の人からわけのわからない電話が入っているんですけど…」と困っている。
「じゃ、代われ」
電話を回してもらうと、受話器から、ものすごく取り乱したような口調で、「父はどこにいるんですか! 居場所を教えてください!」とまくしたてる女性の声が聞こえてきた。

どうせ、「マル精」かなんかだろうと思っていた。
マル精とは、精神異常者など頭がイカれている人を指す隠語で、ほかに「電波」などと言う場合もある。

マル精からの電話は時々ある。とにかく低姿勢で話をよく聞いてあげること。そうすると、たいていの場合は気持ちが鎮まるのか、トラブルに発展することもない。

ちなみにマル精じゃなく、中年のおっさんが酔いにまかせて言いがかりに近い抗議や苦情を言ってくる場合もあるが、そのときは「文句があるなら新聞を買うなくていい」と言い、ガチャッと電話を切っている。

この夜も、とにかく聞くだけ聞いてあげようと、(長電話になることを)覚悟した。
彼女は「父なんです。どこにいるか知っているんでしょう。教えて!」と繰り返す。こちらは、どんな事情なのかさっぱりわからないので、「まず、順を追って教えてください」と頼んだ。

少し冷静になって話し出した彼女の説明によると、彼女の手元に1、2年前の新聞のコピーがある。「健康面」の記事で、ある芸能事務所の社長が重病を患ったが、奇跡的に復帰した、という内容だった。その社長(写真つきで掲載)こそ、彼女の父親だというのだ。

彼女は「父とは20年前に別れたきり、1度も会っていないんです」と打ち明けた。

「何か事情でも?」
僕がそう尋ねると、彼女は一瞬、言いよどんだが、やがて何もかも正直に話そうと決めたようだった。

「高校1年の夏、家出したんです。父とはそれっきりで…」

両親が離婚し、彼女は父と2人暮らしだった。
寂しさからだろうが、彼女はグレて新宿歌舞伎町などで夜遊びを繰り返した。怒った父が彼女を殴ることもしばしばだった。
彼女は父から逃げる決心をした。

それから20年の月日が流れた…。
彼女は幸せな結婚をし、子供にも恵まれた。子を思う父の気持ちもわかるようになっていた。
つい先日、自宅に差出人不明の宅配便が届いた。ダンボール箱をあけると、高校生のころの自分の持ちものと、新聞のコピーが入っていた。

コピーを見た瞬間、「父だ!」とわかったという。

ただ、彼女の父の本名と、記事に登場している人の名前が違う。

僕は、当時記事を書いたライターを探し出し、連絡を取った。
「これ、仮名だった?」
「いや、本名だと思いますよ」
「人違いなのかなあ。一応、本人に連絡を取ってください」

しばらくして、ライターから折り返し電話が来た。
「仕事では違う名前を使っていたそうで、本名に間違いないそうです」
「そうか、じゃ、やっぱり娘さんで間違いないな」
「そうなんですが、本人は(娘には)絶対会いたくないと言ってます」
「そんなことがあるもんか! いろいろ手間をとらせて申し訳ない。あとは俺が話を聞くことにするよ」

電話で事情を聞いた。
娘が家出したとわかってから、毎夜、歌舞伎町で娘の姿を探した。娘だけが生きがいだった。
「殴ったりして、父さんが悪かった…」
1週間が過ぎ、1か月が過ぎ、1年が過ぎた。でも、ついに娘の姿は見つからなかった。

娘は死んだものと諦めようと思った。ガムシャラに働いた。何人かスターを生み出すこともできた。
でも、やはり娘のことは忘れることはできなかった。どうした偶然だったのか、知人のツテで娘の居場所がついにわかった。

気づかれないように、そっと会いに行った。
娘は結婚し、子供もいた。幸せそうな笑顔を浮かべていた。

父は「お前も幸せになったんだなあ。よかった。これで思い残すことはない。さようなら」と、つぶやいた。

最近、また病気にかかり、入院・治療しなくてはいけない。こんどは生還できるかどうか…。宅配便で届けた新聞のコピーは、二度と会うことはない娘に宛てた形見のつもりだった。

僕は「娘さんは会いたがっている。どうして会わないんですか!」と聞いた。

すると、
「いまさら、父ですと名乗り出ても…。あいつには夫も、子供もいるし…。昔に戻れるわけじゃないんだから。会わないほうがいいんです。なんといわれようと、絶対会いません!娘には、連絡先は絶対に教えないでください!!」と、頑なだった。

僕は、娘に連絡し、「あなたが言うとおり、お父さんでした。でも、絶対、会いたくないと言っています」と告げた。

娘は、受話器の向こうで、むせび泣いていた。

「わたしにも子供ができて、親の気持ちがわかるようになった。一言、お父さんにごめんなさいと言いたいんです。せめて電話で、話をさせてください」

「…わかりました。僕のほうでお父さんを説得してみましょう」

もう一度、彼に電話をした。
「娘さん、泣いてましたよ」。
そう告げると、心が揺れているようだった。

「僕も3人、子供がいます。だから、あなたの気持ちは痛いほど、よくわかります。でも、このまま会わないでいたら、きっと後悔しますよ。僕なら会います」

「君なら会う?ホントに会う?」

「はい、僕なら会います。だって、月日が20年たとうが、父であり娘であることに変わりはない。父娘の絆は切れないんですよ! せめて電話で声だけでも、声だけでも、聞いてあげてください!!」

その後、どれだけ沈黙が続いただろうか。
彼は「電話だけなら…」と言った。

僕は、すぐに娘に「お父さんが電話を待っている。今すぐ、かけてください」と連絡した。


それから1、2週間ほどたったころ、彼から電話が来た。
娘たち一家と会ったという。「孫がおじいちゃんと言ってくれましてね」と、とってもうれしそうだった。

20年ぶりに対面した父娘は、「お父さん、ごめんなさい」「いや、俺が悪かった」。ふたりとも涙でぐしゃぐしゃになりながら抱き合ったという。


(2005/3/19)

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