2008年2月11日月曜日

君死にたもうことなかれ

最悪の結末に終わったイラク人質事件のニュースを見て、与謝野晶子の詩「君死にたもうことなかれ」を思い出す人が多いだろう。生きてさえいれば…。

君死にたもうことなかれ(与謝野晶子)

ああおとうとよ 
君を泣く君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺(さかい)の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたもうことなかれ
旅順(りょじゅん)の城はほろぶとも
ほろびずとても
何事ぞ 君は知らじな
あきびとの家のおきてに無かりけり

君死にたもうことなかれ
すめらみことは 
戦いにおおみずからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣(けもの)の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されん

ああおとうとよ 戦いに君死にたもうことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまえる母ぎみは
なげきの中に いたましくわが子を召され 
家を守(も)り安しと聞ける大御代(おおみよ)も
母のしら髪(が)はまさりぬる


暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にいづま)を
君わするるや 思えるや
十月(とつき)も添(そ)わでわかれたる
少女(おとめ)ごころを思いみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたもうことなかれ



僕もこの詩は思い出深い。

高校2年生のとき、同級生の男子が鉄道に飛び込み自殺をした。
クラスが違ったうえ、地味でおとなしいタイプだったのでほとんど面識がなかったが、やはりショックだった。

放送局でラジオドラマを制作していた僕は、彼の死の波紋を翌年、ドキュメンタリー作品にした。校内の同級生を片っ端からインタビューしてまわったが、自殺の真相はつかめなかった。

いまのような取材力があれば、違ったんだろうが。

驚いたことがあった。同級生の数人が「わたしも自殺したいと思ったことがある」と告白したことだった。そのうちのひとり(女子生徒)のことが今も忘れられない。

「洗面器にお湯をためて、カッターで手首を切った。真っ赤な血でポタポタとたれた。お湯が鮮血に染まっていく。おかあさん、おとうさん、ごめんなさい…」

彼女は、今でたとえるならタレントの西村知美に似た、ほんわかとした性格の、チャーミングな人だった。

「ほら」。

彼女は、自分の左の手首を僕の目の前に差し出して見せた。そこには、カッターで切った生々しい傷跡が何本も残っていた。

一見、ほんわかとした彼女の内側には「死」をもいとわない激情が隠されていたのだ。

「でも、おかあさん、おとうさんのことを考えたら、私が死んだら悲しむだろうなって。やっぱり死ねないなあと思い直した」と言い、はにかむように微笑んだ。

「そうだよ、死んだらおしまいだよ。生きてたら、楽しいこともいっぱいあるよ。僕たちはちっぽけな存在だけど、世の中に役に立つことだってあるかもしれないよ」。

僕はこんなことを彼女に伝えたいと思ったけど、きちんと伝えられたか自信がない。でも、こうした気持ちを作品にこめたつもりだった。

僕のいた放送局は、かつては道内でも名門だったが、当時は活動が振るわなかった。とくに2年続けて、NHKコンクール(通称Nコン、全国の放送局がラジオドラマ、ドキュメンタリー、アナウンス、朗読部門で競い合う)で予選落ちという惨憺たる状況だった。

僕は、この放送局で遊んでばかりいた。暇さえあれば、同期、後輩たちを引き連れて、廊下でピンポン野球をしていた。ここぞというときは、決め球のライジングボール(球速の速いピンポン玉が浮き上がってくる)で、バッタバッタと三振を取った。

かと思えば、部室では女子部員たちとトランプ遊び(ナポレオン、大貧民など)。ところが、そんな僕を先輩が次期局長に推挙したから、波紋が広がった。

いつも真面目に局内の仕事をしていた男子が局長になるもんだと思われていたからだった。僕もそう思っていた。結局、投票で決めようということになった。

その結果、男子部員は全員、僕じゃないほうへ入れた。

僕自身も彼に一票入れた。だが、女子部員は全員、僕に投票した。

当時、女子のほうが多かったので、僕が次期局長に正式に決まった。このあと、さんざん嫉妬に悩まされたけど、気にしないフリをした。なりたくて局長になったわけじゃないけど、なった以上は責任がある。僕は必死だった。

目標は「Nコン」に置いた。

スポーツで言うなら、インターハイのような大会だったのだ。せめて予選は通過したい。そうすれば、局内が盛り上がり、みんなの自信とやる気を取り戻すことができると考えていた。

3年の春、地区予選の発表日。僕にとっては「運命の1日」だった。部員たちがほぼ全員、駆け付ける中、ついに結果発表の瞬間がやってきた。ドキドキ、ドキドキ…。はたして結果は?

僕の作品は予選1位だった。想像以上の評価だった。後輩の作品も2位(3位までが予選通過)。さらに、朗読部門に出た女子アナウンス部員も1位になった。2年続けて予選を通過できなかったのに、なんと3つも全道大会に出場することができるようになった。

僕は、人目もはばからず、泣いた。涙が止まらなかった。多分、人生であれほど感激したことはない、と今も思っている。

だから、人間、生きていようと言いたい。無駄に死んじゃダメだよ。生きていると、いいことがいっぱいあるよ。最近、ネットで知り合った者同士が自殺する事件も起きているが、もう一度、この詩を読み返してほしい。

「君死にたもうことなかれ」を。

(2004/10/31)

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