2008年2月11日月曜日

桐野夏生

行方不明だった宮城の小5女児は先日、無事にお母さんのもとに帰ってきたそうで、ホッとした。
この行方不明騒動がブログなどで話題になっていたとき、僕はある小説のことを思い出していた。

その小説とは、6年前に出版された桐野夏生さんの「柔らかな頬」。
「OUT」でブレイクした桐野さんは、この作品では幼児失踪の話を描いていた。

主人公は34歳の森脇カスミ。実直な夫との間に2人の娘がいるが、2年前からデザイナーの男と不倫を続け、ある日、愛人に抱かれながら「子供を捨ててもいい」と思う。その直後、長女・有香が行方不明になってしまう。半狂乱になって探し歩くが、見つからない。そして4年が過ぎた…。

偶然だが、この小説を読む数日前、わが家の6歳と4歳の子供が目を離したすきに行方不明になる事件があった。妻が美容室にでかけ、僕と子供たちが留守番をしていた。子供たちは、家の玄関前で一緒に遊んでいた。その声を聞きながら、僕はついウトウトとしてしまった。
どれくらいたった後だろうか、ハッと気付いたとき、玄関から声がしない。
「おやっ?」。

あたりを見渡したが、いない。外は小雨が降っていた。階下に降りていき、マンションの管理人に「うちの子みませんでした?」と聞くと、「ああ、さっき出ていきましたよ」と言うではないか。

あわてて外に探しに行った。6歳と4歳のふたりだ。それほど遠くへは行けまい。だが、近所を探し回ったが、どこにもいない。

僕は半狂乱になりそうだった。
「事故?」「まさか誘拐?」

「ああ、なんてことだ。目を離したばっかりに…」。

僕は、マンションの前で呆然と立ち尽くしていた。

だが、まもなく角の小道から、傘を差しながら歩いてくる2人が見えてきたのだ。

人生でこのときほど、ホッとしたことはない。

2人とも元気だった。後で聞いたら、歩いて10分くらいかかる幼稚園まで行っていたという。途中、信号のない通り(けっこう交通量があってアブナイ)をわたらなくちゃいけないのだが、そこもわたったという。

桐野さんの小説を読んだのは、こんな出来事があった数日後だった。インタビュー取材をする予定になっていたからだ。

だが、読むのは辛すぎた。
有香ちゃんが犯人に惨殺されるシーンが2度もあった(あとで夢とわかるが)からだ。

桐野さんとは吉祥寺のホテルでお会いしたが、彼女も面食らったと思う。
なにしろ会うなり、僕は「こういう作品は嫌い」「いくら小説でもむごい」「桐野さんって怖い人ですね」とケンカ腰だったのだから。(なら、会わなきゃいいのに…)。

桐野さんが怒りだしたら、僕は取材を打ち切って帰ろうと覚悟していた。だが、桐野さんは冷静に僕と向き合って語り始めた。

「以前、テレビで行方不明児の特集を見てお気の毒だなあと思った。親は生きていてほしいと願っているが、まわりの人たちの想像では『もしかしたら亡くなっている』。こういう目にあったら、その後、家族はどういう風に生きていくのだろう。そんな好奇心から始まったんです」

(夢の中とはいえ、むごいシーンがあった。僕には辛すぎた)

「つまり、小説家はこういうことを書いちゃいけないと」

(いや、そうは言いませんが)

「私も娘を見失ってハラハラドキドキ探し回ったことが何度もあった。子供が死ぬシーンを考えるのが辛くて、1回筆を置いた。ですから4年がかり」

(そうだったんですか…)

「モノ書きって恐ろしいのかもしれない、確かに。筆がそっちに行くんです。いかん、いかんと思いながら。でも、これはずいぶん躊躇したし、推敲したし、何百枚も何千枚も捨てたし…」

桐野さんはエキゾチックな美貌にスラリとしたプロポーション。この日、着ていた黒ずくめのシックなファッションがよく似合った。
話してみると、気さくでサバサバした人柄だった。

「フツーの妻でフツーの母ですから。いいヤツですから、アハハハ。きょうだって、朝6時に起きて子供の弁当つくったし」

うん、たしかに、いいヤツかもしれないと思った。でも、フツーではないだろう。フツーの中に、「凄み」を隠し持っている人。

以前、小説を書く原動力を「居心地の悪さ」と語っていた。
「妻、母、作家の3つの顔ともどれもが自分じゃないような、本当の自分がどっかにいるんじゃないか、みたいな気持ちがうごめいている」という。

「柔らかな頬」の主人公・カスミも、オリの中で飼い慣らせない「野生生物」の魅力を発散し、「心を満たすもの」を求めて漂流する。

どこか、桐野さん自身とだぶるような気がした。


(2005/4/10)

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